佐藤 聖二さとう せいじ
アイルを創ろうと思った、そこにいたる道を含めて教えてください。
中学受験専門の進学塾講師あるいは講師のまとめ役として実績を積みながら、どこかで疑問を覚えている自分がいました。いわゆる最難関校への合格実績、数を追い求めるあまりに何か疎かになっていることはないか。何かを犠牲にしているのではないか。本当の教育の姿とはかけ離れたものになっているのではないか。そんな疑問に日々自問自答する毎日だったのです。もっと一人ひとりの子ども達と関わりたい、偏差値にとらわれない子ども達の夢の実現の手助けをしたい、そんな思いが強くなったときに、同じ考えを持つ仲間が背中を押してくれました。
アイルという名前の由来を教えてください。
アイルは、英語の「I will」のabbreviation(短縮形)です。「こうしたい」「こうなりたい」といった、自分の意志でやりとげようという子どもたちへのメッセージを込めて名付けました。創業前、仲間とともに車で移動しながら思いついた名前だったことを覚えています。中学受験は親の受験とよく言われますが、たとえスタートがそうであっても学習を進めるうちに自分の夢、目標として取り組めるようになる、そんな子どもを育てたいという思いがこもっています。
当時どんな塾を目指していましたか?
従来の中学受験塾のように、子ども達を長時間拘束したり、大量に課題を与えることは絶対にしない。「やらされる」のではなく、「みずからやる」子どもを育てること。そうすれば、他のことを犠牲にしない中学受験の在り方がきっと実現できるはずだ。そんな塾を目指していました。
当初苦労したことなどあれば教えてください。
どうしても最初は、「元○○塾の先生」であったことのイメージがなかなか払拭できず、私たちの理念が伝わらないこともしばしばありました。たとえば、「なぜもっともっとやらせないのか?」という不満を保護者の方から伝えられたり、親子の対話やふれあいも中学受験には大切なんだという考えも浸透せず、「日曜日も授業をしてほしい」といった要望もよく聞きました。「2週間を1タームとして小さな成功体験を積み重ねること」「習い事をやめずに両立することで時間の工夫ができるようになり、集中力が高まること」「その結果、より効率のよい受験学習が可能になること」といった方針が理解されるようになったのは、この10年くらいのことだと思います。
アイルが目指すことは変わってきましたか?
システムやカリキュラムは常にベストのものを追い求め、毎年改訂を行っておりますが、根本の目指すところは、まったく変わっていません。受験は子ども達自らが主人公となって行うものです。きっかけはどうあれ、学習を進めていく中で、受験を自分の目標としてとらえ、自分自身で次の6年間を過ごす学校を決めるということ。そしてそのことが子どもを大きく成長させる礎になるということです。
「教育」とはどんなことだと思いますか?
「教え、育む」とよく言われますが、講師が主で生徒が従となってしまい、ひたすら知識を詰め込んでいくことは「教育」ではないと考えています。生徒が主であること、そして講師はサポーターのようなものです。十人生徒がいれば、十通りの個性があります。それを日々のふれあいを通して、的確につかみ、環境を整えてあげる。集中して、気持ちよく勉強すれば、必ず成績は上がります。学びの方向をしっかりと示してあげる、それこそが教育だと思います。また、「習う」とは「倣う」であり、「学ぶ」は「まねぶ(まねをする)」とも言われますが、真似をする対象、塾であれば講師、は子ども達の憧れの存在であるべきでしょう。子ども達の手本、憧れ、なりたい存在であること。そう努めることで、はじめて双方向の「学び」、真の教育へとつながってくるのではないでしょうか。
中学受験がもつ意味について教えてください。
一言で言えば、「可能性が広がる」ということです。子ども達も皆いずれ自分の力で生きていかねばなりません。自分が何で身を立てるのか? どうやって生きていくのか? それを知るために人はみな学ぶのです。そして「学ぶ」ためには、その方法を知らなければなりません。中学受験は、そういう意味で「学び方」を訓練するうってつけの場です。「いい学校に入るため」ではなく、「自分の将来の選択肢を広げる」一つの方法として中学受験があると考えています。
習い事を推奨していると聞きましたが、これについて聞かせてください。
よく誤解されるのですが、アイルでは「習い事をしなさい」といっているわけではありません。それを推奨しているのではなく、それまでに打ち込んでいるものがあるのなら、それもまたひとつの「学び」であって、中学受験を理由に止める必要はないと考えているだけなのです。そもそも中学受験で大切なことは「過程」であって、「結果」ではありません。偏差値の高いいわゆる名門校に合格したからといって、将来が約束されるわけではありません。すべてをなげうってただ中学受験学習のマシーンと化すよりも、学ぶべきことは多くあるはずです。むしろ習い事と両立することで、時間の工夫を学び、集中した学習のできる子ども達は中学受験の結果のみならず、その後の成長の幅も大きいと考えています。そうした器を作るために、様々な「学び」をぜひ経験させていただきたいと思います。
アイルが「ゆるい塾」と評されることがあるらしいのですが、どう考えますか?
何をもってゆるいか、というところに尽きるでしょう。たとえば、時間や量だけの側面をとってみれば、アイルは「ゆるい」塾に分類されるでしょう。しかし、自分で目標や計画と立てる、学習について自分でも考えなければならないという面でいえば、おそらくハードなことを強いているともいえるのです。どんなに大量の宿題を出す塾でも本人がやらなければ何の意味もありません。小学生は基本的に素直ですから低学年、中学年のうちは大人の言うことを聞いて、その通り学習できる子もいるでしょう。だからといってそれが「大量にやらせる詰め込み」によって、本当に大切な「考える」習慣を奪うことになってはいけません。私たちのカリキュラム、教材は広島の中学受験に合わせた「エッセンス」が集約されています。あれもこれもやらせなきゃというのは講師のエゴにしかすぎず、それを詰め込むことは無意味であると考えています。大切なのは、「頭を働かせる」ことであって、「頭をカラにしてひたすら詰め込んでいく」ことではないのです。
合格実績についてどう考えますか。
合格実績は、子ども達の努力の成果を示すものですから、私たち講師にとっては誇りです。ただ、それぞれが中学受験にチャレンジした結果に良い悪いはありませんし、本当に大切なことはその過程にあります。ですから私たちは特定の学校の合格実績だけを誇ったりすることはありませんし、偏差値の高い学校について良かったから大きく宣伝する、悪かったら目立たないようにするなどということは絶対にしません。中高一貫校はそれぞれ独自の教育システムを持っており、子ども達が大きく伸びる環境の学校に、自信を持って進学できることが一番大切だと考えています。
今の子ども達についてどう思いますか?
情報が過度に溢れているこの時代の中で、いろんな物事は良く知っているけれどもいざ自分の力で切り開きなさいと言ったらしり込みする、そんなイメージでしょうか。もっと自分の目で見て、自分の耳で聞き、手にとってみる……五感を駆使して、自分で決断できるそんな人間になってほしいと思います。
保護者の方に望むことがありますか?
子どもにとって、かけがえのない最も信頼できる身近な人が保護者の方です。時として保護者の方が思うようにお子様がうまくできないこともあると思います。でも、それは未熟さゆえのこと。保護者の方には、お子様の成長を信じて見守ってあげていただきたいと思います。時には叱咤激励も必要でしょう。でも最後には「あなたを信じてる。後ろについてるから頑張ろう」という声をかけてあげていただきたいのです。
講師やスタッフに望むことは?
あなたにとって目の前にいる生徒は「多くの生徒のなかのひとり」と感じることがあるかもしれませんが、子ども達にとって「先生は唯一の人」です。あなたを信頼して学びに来ているのですから、しっかりと向き合って、そして伴走してあげてください。そして、子ども達の「あこがれ」として、学習面だけではなく、すべてを真似をされるような存在であってください。私たちの目標は「合格者数」を追うことではなく、すべての生徒から「アイルで学べてよかった」と言ってもらう事なのですから。
10年後のアイルについて思うところを教えてください。
ここまで20年近く全力で駆け抜けて参りました。同様に、今、やれることを精一杯やった先に、10年後があるのでしょう。指導内容やカリキュラムがさらに磨かれていくことは確かですが、根本の理念は変わらないはずです。「I will be~」(こんなふうになりたい)と夢や目標を持って人生を切り開いていく子ども達を常に応援していく存在でありたい、そう思います。
有川 純且ありかわ すみかつ
アイルの学習システムの特色を簡潔に説明してください。
受験を志す子どもならだれでも参加できること、自分で目標を設定して取り組むスタイルであること、予習を必要とせず、家庭で復習すべきことが明示されていること、などです。
2週間を1タームとしているわけですが、この2週間という期間については、どのように考えていますか?
小学生が自分でスケジューリングできる長さとして、最適であると考えています。週に1度だとあまりにもせわしい。逆に月に1度くらいの頻度だと、テストそのものがイベント化してしまい、テストまで時間があるせいでついだらだらしてしまう、という側面がどうしてもあります。子どもたちには2週間に1度、自分の学習スタイルを見直すチャンスがあると思ってやっていこう、と話しています。つまり、「変わることができる」機会が2週間に一度やってくるわけです。
「ほめる」ことを中心に指導しているとのことですが、「叱らない」ということと同義と考えてもいいですか?
子どものよい点を見つけてそれをほめる、評価するということは常に心がけています。何気ない評価の言葉が子どもに響いているということはよくありますし、それが次へのやる気につながっていくことも多いですね。受験が終わったあとなどで「5年生の時にかけてもらったあの言葉のおかげでがんばれた」などと言われて、こちらが驚くこともよくあります。一方で、子どもを大きな視点で見守りつつも、彼ら自身の目標へ至る道をはずれそうになった時、叱る、注意するということはあります。ただ、感情に任せて怒ることはありません。集中していない生徒に対して頭ごなしに怒るのではなく、体調が悪いのかな、何か気になることがあったのかな、と一旦考えてみた上で、どのような接し方がベストなのかを講師には判断させています。
単元テスト(COMPASS)について、「テストに追われる」という負の連鎖になったりしませんか?
たとえば習い事やスポーツで忙しくしている子どもは、学習に割ける時間がどうしても少なくなるでしょうから、そんな印象を持つ可能性もありますね。ただ、私たちは、子ども達自身にまず大きな目標を挙げさせます。単元テストにおいてはそれを達成するための小目標として、いわゆるテストの目標点を設定させるようにしていますので、この点数をとらないとだめだ、というようなことは一切言いません。苦手な教科、よくわからない単元に出会うこともあるでしょうし。大切なのはそういう事態になったとき、自分がどうやって解決しようとしたかだと思いますから、前回の自分より進歩できた点があればよし、くらいの気持ちで臨んでくれればよいと思っています。だからこそ、2週間に一度テストがあることが大切なんです。
6年生本科クラスでも週3回(授業終了20:10)と、一般的な中学受験専門塾に比べて時間が短いと言われませんか?
確かに勉強には「ここまでやればいい」という限度はありません。それこそ生涯が学びの過程ともいえるわけですから。ですから、つい大人は欲を出してこれもやれ、あれもやれ、と言うことが多いと思いますが、そうすると子どもにはどんどん負担が増えていくことになります。たとえば課題を終えるのに時間がかかり、小学生の生活とはいえなくなってしまうほど逼迫するのは、やはりよくないと思います。逆に、今はここまでやってあれば十分だよ、という境界線を示してあげる方が子どもたちが継続して頑張りやすいと思うのです。勉強は中学校に入ってからもずっと続くわけですから、息切れしても困りますし、勉強に対して負の印象を持ってほしくないですから。
習い事との両立を目指す子どもが多いと聞きますが、両立の秘訣を教えてください。
その子その子の両立のしかたを認めてあげることだと思います。現在の学力も生活スケジュールもすべて異なるわけですから、画一的におしつけてもうまくいきません。よく「どうしても課題をすべてやる時間がとれないのですが…」といった学習時間の相談を受けるのですが、励ましてやることはもちろん、課題の量を出し入れしたりすることも多いです。まず授業が一番ですから、課題が全部できていないから行きたくない…と本末転倒にならないように、と思っています。習い事の成果の報告に来たら一緒に喜ぶこともしばしばです。講師たちには、そうした「寄り添う」姿勢を大切にするよう常に言い聞かせています。
小学校の授業についてはどう考えますか?
学びの基本の場ですから、おろそかにすべきではありません。多様性に富む小学校のクラスでしか学べないものもたくさんあります。ただ、一部の教科で退屈に感じることもあるように聞くこともあります。とはいえ概念的なことの指導をじっくりしてもらえますし、実際に小学校の教科書に記載のあることから出題されるものも多いですから、塾の授業だけしっかりやっておけばいいというものではないと思います。むしろ、目の前にあるものから何を吸収できるか、ということをもっと考えてほしいなと感じています。
講師の研修体制について教えてください。
教科指導については、授業計画や模擬授業の実施、他の講師の授業見学や単元をどう教えるかといったコンセンサスの統一など十分に行っています。が、子ども達の前に立つには、単に学習内容を知悉しているかどうかだけではなく、その講師がどのような人生を送っているのか、どのような経験を有しているのかといった内面の充実が、服装や言葉遣い、生徒への接し方などを含めて大切になるところがあります。いくらコンピューターのように問題が解けても、子どもが聞こうとしない授業をしていては彼らのためになりません。優先されるべきは、むしろ子ども達にとってどのような存在であるかということに尽きると思います。
大学受験が変化してゆくなかで、これからの中学受験はどうなっていくと思いますか?
すでに一部の中学校の入試ではその兆候が表れています。記述題の増加や、正解が一通りでない設問、複数の資料や統計を見させながら考えさせる問題などはその一端でしょう。こういった問題の割合が増えてくるものと思います。単に解法や公式を力任せに覚えこむだけでは対応できない問題になってゆくと思いますので、教える側がひたすら教え込むスタイルに固執しているようでは、子ども達の力を効果的に伸ばせないでしょう。また、英語の扱いについても変化があるように思います。複数の中学校で英検の保持者には優遇措置をとっていますし、首都圏では英語を何らかのかたちで受験科目に取り入れる中学校がかなりの割合になってきています。
塾での学習以外に、あるいは通塾以前の段階で、どんなことを家庭でさせることが、後の学習に有効ですか?
まず、さまざまな日常での体験の積み重ねが、後に授業や本、テキストから知識を受け入れる際の器の大きさになっていきます。旅行や各種イベントへ参加することで見聞を広めることももちろん大切ですが、身近な生活の中での体験にもっと目を向けてみるとよいと思います。たとえば、バーベキューで物を燃やす体験がものの燃焼の学習に役立ち、庭の草抜きの体験が植物の根のつくりの分類に役立ち、スーパーで商品のラベルを見ることが産地やトレーサビリティーの知識につながり…といったようにです。もちろん、読書でさまざまな言い回しや語彙に出会い、他人の気持ちを味わうという疑似体験も後に読解においては大きな力となりますから、できるだけ多くの活字に接しておいてほしいですね。いずれにしても、身の回りのすべてのことが学習につながっているんだ、という意識をもって生活することが大切だと思います。
アイルでは国語を除くとノートを使用すると聞きました。これの意図するところを教えてください。
算数を例にひきますと、自分の考えを整理して進めるには、図を書いてみたり細かい計算をしたりと、作業を行うスペースが必要です。低学年時には、「とにかく素早く答えが出せる」ことが最上と思っている子どもが多いのですが、入試問題になるとなかなかそんなふうにはいきません。むしろ、式も図も書かずに解答にたどりつこうとする習癖をつけさせないことが大事になってきます。他の教科においても、「繰り返し取り組んで定着させる」「漢字で書いて覚える」といった作業をするには、テキストの解答欄に書きこむだけではやはりスペースが足りません。課題については国語もノートを使うことが多いのですが、このノートに生徒の情報が満ち溢れています。筆跡から突き指がわかることもありますし、いつもよりしっかり書いているなとか、今回は苦戦しているなとか…。つまり生徒への声かけの材料がたくさんあるのです。また、生徒からの質問や相談が書いてあることもあります。つまりは、生徒とのコミニュケーションツールとしての役割も大きいといえます。
質問体制(AST)について一言お願いします。
ノートをコミュニケーションのツールとしてあげましたが、実際には口頭でのやりとりのほうがはるかに多いわけです。授業前・授業後の時間で生徒との面談も行いますし、質問や相談、アドバイスなどもしています。ただ、生徒たちもいそがしい生活時間の中でいろいろとやりくりしていますから。学校の宿題に取り組んでいる生徒もかなりいます(笑)。「急いでやるから、これ終わったら質問していい?」なんていう声を聞くと、ああ、自分なりに工夫して頑張ってくれているんだな、とほほえましくなります。
どんな子どもが伸びますか?
共通点として感じるのは、能動的であること。つまり、自分で取捨選択をしたり、動けたりする子どもですね。言われたことだけ言われたままやっている子はやはり伸びが小さい気がします。やっている量が少なくても、自分で決めて取り組んでいる子どもは、身につく率が高いからじゃないでしょうか。「自分でやっているのか」「他者からやらされているのか」の違いは本当に大きいと実感しています。また、必要以上に結果に拘泥しない子どもも安定した伸びを感じますね。反省点は反省しつつ、「今回失敗したから、次はこれに気をつければいいや」くらいに思っている子は、結果におどおどしていないですからね。逆にいうと我々大人の側が子どもが失敗することに対して許容量が大きくないといけないということでしょうけど。それから、あたり前のことですが、わからないことを解決しようとする気持ちのある子。今すぐ質問できなくてもいいのです。何とかしようと思う気持ちが大切です。そのためには「あなたはもっとできるはずだと思うんだ」というメッセージをこちらから送っていないといけないとも思います。
子どもが最も伸びるのはいつでしょう。
もちろん、これはその子その子で違います。本人がその気になってやっているときが一番伸びますし、結果も出ます。逆に、一生懸命やっているのに結果に出ないこともあって、これを大人は「全然わかっていないんじゃないか」「さぼっているんじゃないか」とか思ったりするのですが、必ずしも「不正解=全く理解できていない」ということではありませんから、結果よりも途中経過をみて評価してあげたほうがいいと思います。コツコツやっていると、やがてクッと伸びるときがくることが多いです。そこまで努力を継続させることができるかどうかが伸びを生む、と言い換えてもいいと思います。この「結果ではなく過程を褒める」というのは、どの場面でも有効ですから、私達も常に心がけているところでもあります。 下記よりお気軽にお問い合わせください。
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