最近の子どもたちはやっていないかもしれませんが、私が子どもの頃は夏のイベントに付き物だったのは「肝試し」でした。
今通っている子どもたちも、肝試しという言葉や、肝試しで何をするかは知っていても、どうしてそのような名前になったのかは知らないかもしれませんね。
塾でも習う慣用句の中に、ひどく驚く、という意味の「肝をつぶす」というものがあります。
おそらくは、ここから生まれた名前ではないかと言われています。
塾で、慣用句を習う、と言うと難しいように思う子も多いですが、実は日常生活の中でそうと気づかずに使っているものも結構あるんです。
言葉自体は知らなくても、感覚として知っていてくれれば学習もスムーズになります。
例えば、「恥ずかしい時に人の顔って何色になる?」
という質問に対して、多くの子は「赤くなる」と答えてくれます。
こうなると、「顔から火が出る」=恥ずかしい、とつながるので覚えやすいわけです。
以前、少し変わった意見だと「ピンク」「オレン」などもありましたが、これは些細なずれのうちで、特に問題はないでしょう。
そういった日常生活での感覚が少なくなっているなあと思ってしまうのは、「え? 肌色のままでしょ?」と答える子が出始めた時でしょうね。
今のところ、それは少数派だと思いますが、ここ数年の国語力の低下を見ていると、10年後にはそう珍しい話ではなくなるのかもしれません。
今年実際にあった例ですと、「手を口元にラッパのようにあてて、遠くの人を呼んだ」という文章がありました。
どういうポーズだったのか実際にやらせてみると、ほとんどの生徒は山彦でも起こすときのように、口の両サイドに手を立ててつけるのですが、少数ですが、両手を本当にラッパを持つかのような手にして、口の真正面につける子もいました。
口の前をふさぐわけですから、当然声が遠くに届くわけもなく、その子自身も不思議そうな顔をしていました。
こうした事例とともに思うのが、勉強は塾だけでするものにあらず、ということです。
受験のためのノウハウや、日常生活ではまず触れないような専門知識は当然私たちが教えないといけませんが、日常生活の中から広く知識を得ているかどうかでその入り具合は大きく異なります。
今の小学生は、驚くほど習い事ややることも多く、時間をとりづらくなっています。
だから、私たちも宿題の量を何とか絞り、生活のリズムを乱さないようにがんばらせてあげたい。
そういった塾の時短を実現していくためには、勉強時間以外にも子どもたちが知識を経験から獲得していくことが大切ではないか、と思います。
(五日市教室T)