「自信を持つ」というのは難しいものです。
自信過剰になって足元をすくわれても困りますし、逆に自信がなくて、たとえばテストで手が完全に止まってしまうのも問題です。
最近、自信を持てないケースについて考える機会がありました。
6年生の国語の授業をしていて、自由記述の問題が増えてくると、急に解答欄が真っ白な生徒が多くなるんです。
もちろん、問題が難しくなっていることもあるでしょう。
ですが、それ以上に、本当は「こうじゃないかなぁ」という答えが自分の中にあるのに、自信がなくて書けないケースが多いのではないでしょうか。
ここで、私たち講師の側が答えを間違った生徒に対して、厳しく叱るようなことがあってはいけないと思いますし、私自身もまずしていません。
では、それで生徒たちがすんなり書けるようになるのかというと、なかなか上手くいきません。
「まちがって怒られるのがいやだから」ではなく、「正解する自信がないから」書けないという気持ちの方が強いからです。
自信とは文字通り自分を信じる気持ちですので、私たちが単純に「自信を持て」と言ってもそううまくはいかないのでしょう。
自分の経験を思い返してみても、自信とは長い時間をかけて少しずつ形成されるものであり、一朝一夕ではなかなか身につきません。
とはいえ、国語の長文読解、特に自由記述は解き方を私たちが説明するだけではなく、自分なりの答えを書きながら、こちらが良い部分と修正する必要がある部分を指摘しつつやっていく方が効率がよいのは確かです。
今からゆっくり自信がつくのを待って、自信がついたら少しずつ修正して、では特に6年生についてはペースに不安がないとは言い切れません。
では、どのように声かけをしていくべきなのでしょうか。
1つの案としては、自分が最も信頼できる相手に、「あなたはできる」と言ってもらうことではないでしょうか。
「自分はこの人のことは信頼している。その人が大丈夫だと言っているんだから、自分はできるはずだ」という理屈ですね。
本当は、私たちが少なくとも勉強面ではそういう存在であればよいのですが、なかなか全ての生徒たちにとってそういう存在になることは難しい面もあります(そうありたく常に研鑽をしていますが)。
そこで、ぜひ、ご家庭でもお子さんにとってそういう存在が誰なのかを考えていただいて、自信を持つ一助となるような声かけをお願いしたいと思います。
もちろん、それですべてが終わりではありません。
自信とはあくまでも、自分で自分を信じることです。
勉強だけでなく、様々な経験を経て、様々な苦労を乗り越えて、信頼できる相手が信じる自分ではなく、自分が信じる自分を信じられる人になってほしいと思います。
(五日市教室T)